高校生のワタシへ

自分の高校時代を
振り返って、思うこと。
同志社大学卒業生に聞きました。

vol.06

大学在学中からしっかり準備し
念願だった動画クリエイターとして歩み始める

ナナオさん

動画クリエイター(「ナナオは立派なユーチューバー」主宰者)UUUM所属

2022年、法学部法律学科卒

登録者数が50万人を超える人気動画クリエイターのナナオさん。明るく刺激的に言葉を繰り出すナナオさんだが、子どもの頃は人間関係に悩んでいたそう。人との付き合いに苦慮していた中でYouTubeに出合い、職業として動画クリエイターになるまでの歩みと葛藤を振り返ってもらった。

少年時代/女の子の遊びが好きだった

子どもの頃はとにかく人見知りで、いつもまわりの人との関係に思い悩んでいました。どうやったら友だちをつくれるんだろう、ということしか考えられなくて、それ以外のことが手につかないような時期もありました。みんなと遊ぶのは好きでしたよ。でも、男の子だったら仮面ライダーやウルトラマンが好きだと思いますけど、そういうのは全然興味がなくて、セーラームーンやプリキュアが好きでした。男の子が自転車で遊んでいるなか、女の子と一緒におままごとやお人形遊びをしている子どもでした。体を動かすこと自体は好きだったんです。鬼ごっこは、ちょっと怖かったですけどね(笑)。

「子どもの頃は、女の子みたいだねってよく言われてました」

みんなと遊ぶのはいいのですが、1対1になったら会話なんて続かない。引っ込み思案で、まわりからは恥ずかしがり屋のように思われ、静かでおとなしいから女の子みたいだねってよく言われてました。一番上に姉がいて、その下に兄がいる三人きょうだいの末っ子でしたから、大人の目から見ると自由に生きているように見えたようです。そんなこと、一度も思ったことはないのですけどね。親はとにかく働き者で、朝から晩までずっと働いていました。そのことはもちろん尊敬しているのですが、その半面、ただ働くだけの人生って何が楽しいのだろうと、疑問に思うこともありました。だから、将来、何になりたいかと考えたとき、僕は自分を大事にし、人前に立って何か楽しく、目立つことをしたいとおぼろげに思っていました。

小・中学時代/スクールカーストの悩み

小学校に入ると、スクールカーストにすごくこだわりを持ってしまいました。いま振り返ると、とても愚かなことだと思いますが、当時は自分のアイデンティティーや居場所を確立するための行為だったのかな、と分析できますね。残念ながら、いじめがあった学校だったので、いかに被害者にならないかを考えていました。少しでも上の階層にいて、いかにそこに居続けるか、いかに仲間はずれにされないか。他の子をいじめるとかではなくて、別の言い方をすると、他者と競う向上心を持っていたとも言えますね。

「小・中学生の頃は人間関係に悩んでいました」

自分と関係を持つとメリットがあると思ってもらうために、他の子があまりできないAmazonでの買い物などをして見せて、自分が優位な位置にいられるようにもしていました。というのも、うちは親が放任主義で、少しだけお金に余裕があることもあって、パソコンやインターネットを自由に使えたんです。それと、自分は度胸のある人間だということを示すために、やってはいけないことをどこまでするか、入ってはいけないところにどこまで入れるか、みたいなチキンレースも進んでやっていました。それが中学生になってもずっと続いていた感じですね。小・中学生の頃は人間関係に悩み、それを解決できず、葛藤していた時期でした。自分の意志より、他者の目や気持ちを重視していたのです。子どもならありがちな話ですが、少し度を超えていたのかもしれません。

不登校/人間関係のリセット

高校は男子校でした。でも僕は女の子っぽいところがあったので、男の子は怖い存在でした。だから、高校にはあまり行っていないんです。ひとことで言うと、不登校ですね。男の子が怖いのに男子校に進学するというのもおかしな話だと思いますが、結果的にそうなってしまったんです。高校に入ると何か変わるかもしれないという期待は少しありましたが、なかなか難しい状況でした。なので、人間関係を構築することをあきらめてしまいました。もう、あまり人と関わりたくないと思ったのです。

不登校になって、それまで自分の脳内がスクールカーストや、人間関係、友だちのつくり方みたいなものに占領されていたということに、あらためて気がつきました。もう、そんなことに振り回されたくないし、関わりたくない。人と関係することを完全にやめて、一人でいようと決めると、心が少し軽くなりました。学校に行かなければ、まわりの目を気にすることもない。学校内の階層を意識することもありませんしね。

江の島へのプチ旅行。
高校時代は「アクティブな不登校」だったという
(写真はナナオさん提供)

不登校といっても、ずっと家に引きこもっていたわけではありません。朝、家を出て〝登校〟するふりをして学校には行かず、一人でいられる場所を見つけ、そこで勉強をしたりして一日を過ごしていました。だから、親は学校に行っていると思いますよね。毎日同じように〝登校〟していたので、まさか学校に行っていないとは思わないですよ。ただ、親はとても厳しかったので、留年だけは絶対したくないと思っていました。

高校2年のときに母を亡くしたのですが、父親は子どものことは母に任せっきりだったので、僕の成績表も見ていなかったと思います。ところが面白いことに、毎日一人で過ごし、人間関係のことに脳内が支配されなくなると、自然と勉強に集中できるようになり、学校にあまり行かないのに成績はあがっていったんです。

だから不登校と言いながらも、高校時代は暗黒の時代ではありませんでした。むしろ、わりと楽しい日々を過ごしていました。それは動画クリエイターという道が、その頃から少しずつ見え始めたからかもしれません。実現できるかどうかはひとまず置いておいて、その方向に進めばいいんだと思うようになった。早い段階で人間関係をリセットし、次に進む道を見つけることができたことは、今思うと貴重な時間だったと思います。

動画クリエイターへの憧れ/将来への模索

「職業として動画クリエイターを意識したのは高校のときです」

子どもの頃から、実はずっとアイドルに憧れていました。見るのはもちろん、できるなら自分もそうなりたいと考えていました。なので、男の子のアイドルや、AKB48のような女の子のグループを、YouTubeやインスタグラムでずっと追っかけていました。それがきっと、動画クリエイターにつながったのかなと思います。

職業として動画クリエイターを意識したのは高校のときです。僕は父親のように、自分のプライベートや、やりたいことなどを捨てて働き続けることに疑問を持っていて、そんなふうになりたくないとずっと思っていました。だから、企業に就職することや組織に属することは、まったく考えていませんでした。

親とは違う道を行く、その第一歩が、一人暮らしをすることでした。それで大学は、実家のある関東ではなく、関西に行くと決めました。関西の大学の中で、僕にとって一番いいと思ったのが同志社大学だったんです。だから高校時代の後半は、同志社大学に入るための受験勉強に集中していました。ただ、勉強をしながらも、将来は有名人や動画クリエイターになりたいと思っていたので、憧れていた動画クリエイターの話し方や表現方法を真似したりしてましたね。特に大関れいかさんとか、けみおさんなどが好きで、彼らのようなスタンスで生きていきたいとずっと思っていたんです。

父親との和解/人気動画クリエイターへ

同志社大学はキャンパスの雰囲気がすごく好きで、授業がないときもよく行っていました。在学中から小説を書き始めていたこともあり、空いている教室でものを書いたり、本を読んだりしていたんです。大きな教室で小説を書いていると、自分がドラマの主人公になったように感じることもありましたね。

高校時代は友だちと呼べる人はいなかったのですが、大学では同じ神奈川県の高校から来ていた人がいて、友だちになりました。河原町三条の居酒屋で朝まで飲んで、いろんな話をしたことは、今も楽しい思い出です。あんなに人との関係を絶っていたのに、不思議ですよね。京都の街はよく散歩しましたし、京都での学生生活は本当に豊かで充実していたと思います。

「京都での学生生活は本当に豊かで充実していました」

法学部を選んだのは、個人的に同志社大学=法学部というイメージを持っていたからです。卒業後は就職するつもりがなかったので、大学生活の多くの時間は動画クリエイターへの準備に充てていました。極端な話、動画クリエイターは友だちがゼロでも収入を得ることができますからね。自分の行く道はこれだと確信し、大学2年の頃から手探りで動画クリエイターを始めました。

父親に就職はどうするんだと聞かれたのは、5年次のときです。それまではうやむやにしていたのですが、僕の状況や意志を確認するために、父親が京都に来ると言ってきたのです。もう動画クリエイターとして活動していることを隠すのではなく、ここでけりを付けようと心に決めました。父親には、今動画クリエイターとして月々の収入がこれくらいで、それによって得られた貯金がこれくらいあるということを説明し、事務所に所属して活動している旨を伝えました。すると意外なことに、すんなりと認めてくれました。親を拒絶し、無視し続けてきたけれど、腹を割って真剣に話し合ったら僕の思いを認めてくれ、最後には後押しをしてくれるようにもなった。なんだかありがちなストーリーですが、今はこうして、人とも、親とも穏やかに話をすることができるようになりました。

高校生のワタシへ

あの頃は人間関係に悩んでいて、人間関係の構築をあきらめていたようだけど、実はそうでもなくて、少しずつ人間関係に飛び込み始めていたんだよ、と言いたいですね。親との関係も、それほど心配ないとも伝えたいです。あんなに怖くて、子どもの意見なんか聞かなかった父親も、今は大きく変わりました。今では父親もYouTubeにとても詳しくなり、「動画クリエイターとして頑張れ!」と応援してくれるようになりました。

あんなに人を拒絶してきたのに、今では社会と関わりを持つためにUUUMに入り、ここでいろんな人と話をしたり、時には飲みに行ったりするのが心の底から楽しいです。今はこうして動画クリエイターとして生き、多くの視聴者に支持されて楽しい毎日を送っています。動画クリエイターをやっているからこそできた人間関係もたくさんあります。だから高校生のワタシには、「今のままでいいよ、心配ない、明るく楽しい未来が待っているよ」と言いたいです。

ナナオ さん

1998年7月21日、神奈川県生まれ。子どもの頃からアイドルに憧れ、数々のYouTubeを閲覧、研究を続け、2019年にYouTube「ナナオは立派なユーチューバー」をスタート。絶妙なマシンガントークであるあるネタや面白ショート動画を投稿、若い層から絶大な支持を得ている。21年3月にUUUMに所属。23年6月29日にはチャンネル登録者数50万人を突破。藤原七瀬名義で『雷轟と猫』、『賢者避行』(共にKADOKAWA)を出版

取材・文/鮎川哲也

撮影/今村拓馬

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