高校生のワタシへ

自分の高校時代を
振り返って、思うこと。
同志社大学卒業生に聞きました。

vol.04

アニメとナレーションの
“二刀流”で頑張っていきたい。

上田 瞳さん

声優(青二プロダクション所属)

政策学部卒

同志社女子中学校・高等学校、同志社大学を卒業。その間、一貫して声優になる夢を追い続けた上田瞳さん。『ワールドトリガー』の氷見亜季役、『ウマ娘 プリティーダービー』のゴールドシップ役などで人気声優の仲間入りをした上田さんに、今日までの道のりを聞いた。

少年漫画好きな女の子/中学から同志社ひと筋

弟がいたこともあって、子どもの頃は少年漫画やそのアニメ番組を夢中になって見ていました。夕飯時は家族全員でテレビアニメを見るのが習慣でしたね。小さい頃は、パン屋さんか漫画家になりたいと言ってたように思います。

私が住んでいた地域は中学受験をする子が多くて、小6の時、母に「どうする?」って聞かれたんですよね。その時考えたのは、試験科目が中学受験は4教科だけど、高校受験になると英語が一つ増えるということ。それを考えたら中学受験のほうがいいんじゃないかということで、同志社女子中学校を受験しました。

同志社を選んだのは、オープンキャンパスで見学した時の雰囲気がよかったからです。レンガ造りの建物で温かい空気感があったし、生徒さんたちもおおらかな印象でした。それと、自宅から近かったというのも大きな理由でした。私、中学、高校、大学と同志社なんですが、10年間ずっと自転車通学だったんですよ。

中学受験はやっぱり大変でしたが、両親が応援してくれたし、小6の時にお世話になった塾もすごく親身になってくれたんですよね。塾の先生はすごい熱血漢で、教室はアットホームな雰囲気でした。みなさんのそういうサポートを受けて、何とか頑張れたんじゃないかなと思います。

中学時代/『スラムダンク』のひと言

中学ではバスケットボール部に入りました。いま身長が172センチあるのですが、中学入学時でも164センチくらいあったんじゃないかな。それで先輩たちに勧誘され、シュート練習を体験させられて、たまたま得点したら「天才かもしれない!」と乗せられて(笑)。

うちには「中学3年間は運動部に所属すること」という家族ルールみたいなものがあったんです。父がラグビーをやっていたこともあって、運動部に入って上下関係を学び、根性を育てる、というのがその理由でした。それで、どうせ入るなら自分を褒めてくれるところのほうがいいなと思って、バスケ部に入ることにしました。

「中学3年間は運動部に所属すること、が家族ルールでした」

でも、私って背が高いだけで、本当に何も役に立たないセンターだったんです。ひと言で言うとどんくさいというか、何をやってもあまり上手にできなかったんですよね。部活の引退直前、チームメイトの一人が「でかいだけで立派な才能だよ」という言葉をかけてくれたんです。私を元気づけるために言ってくれたんだと思いますが、「何もわからないくせに、なんでそんなこと言うの?」と、その時の私には全然響きませんでした。ところが、夏休みのある朝、テレビで『スラムダンク』の再放送を見たんです。それまで『スラムダンク』は見たことがなかったのですが、そこで陵南高校の田岡監督が、バスケを辞めたいと言った魚住選手にこんな言葉をかけたんです。

『でかいだけ?結構じゃないか。体力や技術は身につけさすことは出来る……だが、お前をでかくすることはできない。たとえオレがどんな名コーチでもな。立派な才能だ』

これだったのか、と思いました。もうちょっと早く『スラムダンク』に出合っていれば、私のバスケ人生は変わっていたかもしれない (笑)。バスケ部は特に強豪というわけではなかったのですが、練習も上下関係も、やっぱり厳しかったです。でも、運動部を3年間続けるという約束があったので、やめるという選択肢はなかったですね。

中学から高校へ/声優への第一歩

声優を目指し始めたのは、中2の時でした。たまたま赤ちゃんくらいの頃に付き合いがあった幼なじみと再会したんですが、その子がアニメ好きで、声優という職業があることを教えてくれたんです。私はそれまで、例えば『ハリー・ポッター』のハーマイオニーが日本語を喋ったらこういう声なんだろうなと、何の疑問も持たずに映画を見ていたのですが、それは声優さんが声を吹き替えていたんですね。それから声優さんに注目してテレビを見ていたら、中井和哉さんという『ワンピース』のゾロを演じられている方が、朝のワイドショーでナレーションをされているのに気づいたんです。「声優ってすごい。吹き替えだけじゃなくて、いろんな仕事をやれるんだ」。そう思ったのが、声優を目指すきっかけになりました。

その幼なじみの子は今も私のことをすごく応援してくれていて、東京でライブや朗読劇があると、わざわざ京都から見に来てくれるんです。その子と再会しなかったら今の私はなかったので、感謝してもしきれないですね。

「声優という職業を教えてくれた幼なじみに感謝です」

高校では軽音楽部に入りました。同志社女子中学校・高等学校の文化祭は初日に開会式があって、軽音学部が演奏する「テーマ曲」で始まるんです。テーマ曲というのは、「we are SNEAKER AGES」という軽音楽部の全国大会で演奏するために作ったオリジナル曲で、毎年、開会式はそれを披露する場でもあったのです。このパフォーマンスを中1の時に見て、その頃から「軽音楽部、めっちゃかっこいい」と思っていたんですよね。

私が担当したのはギターです。本当はボーカルをやりたかったのですが、軽音楽部はバンドユニットを組んでからでないと所属できないという決まりがあったので、ちょうどメンバーを募集していたバンドに入れてもらいました。ギターをやるのは初めてでしたが、ギター教室で習いながら頑張りました。この部活も、私にとっては青春でしたね。

大学時代/ゼミと声優養成所

声優になりたいという気持ちが強かったので、正直言うと、大学では専門的にこれを学びたいというものがありませんでした。それで、いろいろな勉強が幅広くできる政策学部を専攻しました。政策学部は4年間、ずっと新町キャンパスで学べるので、自転車通学もできるし(笑)。政策学部の学生はみんな落ち着いていて、真面目な雰囲気の人が多いんですよね。それも自分とは相性が良かったと思いました。

大学では、ゼミがいい思い出です。私が入ったのは、スポーツ法学の川井圭司先生のゼミ。ちょうど学校の体罰が話題になっていた時期ということもあって、体罰問題をテーマにした研究が多かったように思います。あとは、部活中にケガをしたら誰が責任を負うのか、とか。スポーツ法学を専攻するゼミ生は運動系の子が多いイメージがあると思うんですが、先生は運動系の子も文化系の子も分け隔てなく接してくれました。昔はアニメというと、いわゆるオタクと呼ばれる人たちが好むコンテンツだったと思いますが、ゼミではそういう偏見もなく、声優を目指しているというと応援してくれる人が多かったです。

ゼミではスポーツ法学にかぎらず、自分の興味のあるものに取り組んでよいということだったので、私は「メディアとスポーツ振興」というテーマで研究をしました。漫画でもアニメでも、スポーツを題材にした作品って多いじゃないですか。それで、マイナースポーツとメジャースポーツの違いって何だろうって考えてみたんです。例えば野球はメジャースポーツだからか、作品の中でいちいち詳しいルール説明をせずに物語が進んでいきます。『ダイヤのA(エース)』のアニメを見ていて気づいたんですが、私は野球のルールをほとんど知らないので、とりあえずこの子は一塁手、この子は二塁手とキャラクターを覚えたんです。ところが、試合の流れでいま何がどうなったのか、ということは全然わからないんですよね。一方でバレーボールは体育の授業でもやるからメジャースポーツだろうと思っていたのですが、『ハイキュー!!』では作中でポジションなどの初歩的なことや、詳しいルール説明が入るんです。ということは、もしかしたら制作者は、バレーボールをメジャースポーツととらえていないのかもしれない。そういうような話を軸にして、ゼミの論文を書きました。まあ、オタクだからこその視点と言えるかもしれませんけど(笑)。

大学では初め、ヨット部に入りました。何となくふわふわしたイメージがあるサークルと違い、ヨット部は体育会なのでしっかり活動されているんだろうと思って。ところが予想以上というか、もう合宿漬けなんですよね。週末は金曜日から泊まり込みだし、夏休みは火曜日の夜から日曜日まで合宿。そういう生活をしていて、ふと私はこれでいいのか、声優になりたいんじゃなかったのかって思ったんです。それでヨット部をやめて、青二プロがやっている声優養成所(青二塾)の大阪校を受験し、本格的に学ぶことにしました。

「『実るほど頭を垂れる稲穂かな』の教えは今も胸に
残っています」

青二塾の大阪校は、私が声優を目指すきっかけになった中井和哉さんの出身校ということで、何か運命を感じました。東京校は1年制で平日も授業があるんですが、大阪校は2年制で、授業は土日だけ。だから学生や社会人も学べるんです。ここを卒塾し、オーディションを受けて合格すれば、晴れて所属ということになります。

この養成所で印象的だったのは、塾長がおっしゃった「実るほど頭を垂れる稲穂かな」っていう言葉ですね。どれだけ売れっ子になっても、いや売れっ子になったからこそ謙虚な気持ちで一生懸命仕事をしないといけないという意味で、この教えは今でもずっと胸に残っています。

声優デビュー/トイレには神様がいる

私には、声優になったらやりたい目標が四つありました。一つめがテレビアニメ『ワールドトリガー』(葦原大介作のSFアクション)に出ること、二つめが『テイルズシリーズ』(バンダイナムコエンターテインメント発売のRPGシリーズ)でプレイヤーが操作する登場人物を演じること、三つめがキャラクターソングを歌うこと、そして四つめがバラエティー番組のナレーションをやることです。ありがたいことに、この四つはほとんど達成することができました。

私、同期と比べると仕事をもらえるのが結構遅くて、オーディションを一つもらうのも本当に大変だったんです。1、2年目の頃はギャラも少なく、バイトをいろいろやっていました。そんな時、母から「友だちのお母さんは、子どもの初任給でこんなプレゼントをもらったんだって」という話を聞かされたことがあって、ちょっとショックでした。母は本当に深い意味もなく、ただの世間話のつもりだったと思うんですが、私はまだ親に何もしてあげられないというのが、本当に悔しくて。ようやく何とか仕事をもらえるようになってからも、将来どうなるかわからないからとバイトは続けていました。例えば、早朝のビルの清掃。「トイレには神様がいるというから、きれいにしたら売れっ子になれるかもしれない」って思いながら、トイレ掃除をしていました(笑)。

「お世話になった人たちにもっと恩返しをしていきたいです」

いまは『ウマ娘 プリティーダービー』のゴールドシップ役のほか、「news23」というTBSの夜の報道番組で、月・火・水曜日のスポーツコーナーのナレーションをやらせてもらっています。今年、WBCがあったじゃないですか。大谷翔平選手が最後投げきって優勝した決勝の試合、あの日のスポーツコーナーは私の担当だったんです。父は、「あんな歴史的瞬間のナレーションを読めるなんてすごいな」って喜んでくれました。それこそ私は、中井さんみたいにアニメとナレーションの”二刀流”で頑張っていきたいと思っているんです。アニメでも主役を取れるようになりたいし、ゴールデンタイムの番組のレギュラーも取れるようになりたい。そしてもっと力をつけて情報を丁寧に伝えられるようになったら、報道にもチャレンジしてみたいです。でも私は基本的に愉快なことが好きなので、やっぱりバラエティー番組もやりたいかな。演者さんたちをより魅力的に見せられるようなナレーションを、もっとできるようになりたいです。最近は、「近所の人から『瞳ちゃん、頑張ってるね』って言われたよ」と親から連絡をもらったりします。声優として自分が稼げたお金で親に誕生日プレゼントをあげられるようにもなりました。これからは家族だけでなく、お世話になった人たちにもっと恩返しをしていきたいと思っています。

高校生のワタシへ

やっぱり同志社って自由なんですよね。余裕のある人が多いというか、どこかほんわかしている。勉強を頑張りたい人もいるし、サークル活動を頑張りたい人もいて、その比重は人それぞれ。でもそのぶん、自由だからこそ責任が生まれると思うし、そこはちゃんと自分のやりたいことを見定めて頑張らないといけない。私は学生の頃から声優を目指し、運よく仕事をいただけるようになりましたが、その運も続けてきたからこそだと思います。だからずっと続けることは大事だよって、高校生のワタシには言いたいですね。

うえだ 上田 ひとみ さん

京都府出身。同志社大学政策学部、青二塾大阪校30期卒業。青二プロに所属して初めての役名のある仕事は『ワールドトリガー』の氷見亜季役。ゲームアプリ『ウマ娘 プリティーダービー』のゴールドシップ役を担当し、2022年3月に「ファミ通・電撃ゲームアワード2021」のボイスアクター部門を受賞。アニメ、テレビ番組のナレーション、ゲーム、ラジオ、CDと幅広く活躍している。

取材・文/駒井允佐人

撮影/山本倫子

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