
創立者・新島襄の建学の精神が息づく同志社大学。2025年で創立150年を迎えました。
同志社大学はあらためてどのような教育を目指すのか。記念となる節目に、グローバル地域文化学部3年次生の半田翼さんと、スポーツ健康科学部3年次生の小林弦英さんが、小原克博学長にインタビューしました。

PROFILE
小原克博

同志社大学学長
1996年、同志社大学大学院神学研究科博士課程修了。博士(神学)。2004年から同志社大学神学部教授、その後、神学部長・神学研究科長、良心学研究センター長などを経て、24年4月から現職。
インタビュアー
小林弦英

スポーツ健康科学部
スポーツ健康科学科3年次生
福岡県出身。体育会ラグビー部主務。
半田 翼

グローバル地域文化学部
グローバル地域文化学科3年次生
神奈川県出身。同志社グリークラブ幹事長。
半田 翼さん(以下半田)学長就任から1年が経った今の気持ちを教えてください。
小原克博学長(以下小原)150周年を前に、同志社大学に関わる人すべてが大きく飛躍できる1年にと考えてきました。本学には約37万人の卒業生がいます。在学生にも、大きな同志社コミュニティの一員であるという思いをもってほしい。同志社に関わる方々を結びつけるために必要な情報発信を、心がけてやっていきたいという思いを強くしています。
小林弦英さん(以下小林)特に力を入れてきたことはありますか。
小原150年という特別な年だからこそ、伝統をしっかりと振り返りつつ、現状を根本から見直し新しいことに挑戦することで、今まで到達できなかったところへ行けるのでは、と思っています。同志社大学は、学生のやりたいことをサポートするため、組織としてしっかり動ける仕組みはできています。けれども、毎年の繰り返しだけで新しいことをしないと組織は発展しない。それぞれの個人が、何かにチャレンジできる雰囲気や機会を作っていきたい。それは教育や研究だけでなく、課外活動についても同様です。
小林私はラグビー部で活動しているのですが、一昨年、大怪我をしてしまいました。9歳からずっと選手としてやってきましたが、はじめてスタッフになりました。主務として裏方でラグビーと向き合い、選手の視点に立ってサポートしています。昨年度は思うような結果が残せなかったのですが、反省点を今年度の活動に生かしていきたいと思っています。
小原同志社のラグビー部はすごい歴史がありますね。「同志社といえばラグビー、ラグビーといえば同志社」の時代があったのですが、今の若い人は残念ながら知りません。これから実行したいのが、同志社スポーツの強化です。ラグビーの試合を観戦し、実際に選手たちが走っている姿を見て、いろいろな思いが込み上げました。栄光を昔話として伝えるだけでなく、スポーツを通じて同志社としてのアイデンティティを強化したい。課外活動にはその役割もあると思っています。
半田僕はグリークラブに所属し、幹事長として活動していますが、OBや学校関係の多くの方から支えてもらっていると感じます。150周年を迎え、今後の同志社大学のビジョンはどのように描いておられますか。
小原150年の歴史そのものが、同志社のビジョンを考える材料になっています。同志社の創立者である新島襄は多くの言葉を我々に残していて、それが全く古びない。新島は、大学設立の夢を抱きながら存命のうちに果たせなかったので、今私たちはそれを受け継がねばならないと思っています。同志社の原点に立ち返ることで、たくさんある私立大学の一つではなく、「同志社は特別な存在なんだ」と確認することができる。唯一無二の輝きをもって、社会を照らす新しい価値を生み出し続ける大学であるべきだと思っています。
小林同志社大学の優れた点について教えていただきたいです。
小原長い歴史があることに、まず私たちは誇りを持っていい。ラグビー部もグリークラブも歴史があるので、きっと感じていると思いますが、世代を超えた同志社コミュニティの中で支えられる経験ができるのは大きいでしょう。そして、大規模な大学だけれども、各学部の中では教員たちの面倒見がよく、一人ひとりの学生を大切にする。これも新島襄が残した「人一人ハ大切ナリ」という言葉に由来するんですよね。教職員の心中にはその思いが必ずある。「十把一絡げに扱おう」ということは誰も思わない。
半田確かに、学生が大事にされて、学びたいことができていると感じます。私はグローバル地域文化学部に所属しているのですが、留学に行く学生も多く、それぞれが自分と向き合ってやりたいことをやっています。学生たちを支えて自由に羽ばたかせてくれているのが大学の魅力かなと思います。
小原どういう人を世に送り出したか、というのも大学の価値になると思います。多種多様な分野で卒業生がリーダーシップをもって活躍し、組織や社会に大きく貢献しています。在学中に自らを成長させ、学んだ経験や得た力を自分のためだけでなく、他者のために喜んで使う人がこれからも出てきてほしい。そうすれば、同志社は輝きを保ち続けることができるでしょう。
半田京都で学ぶ意義については、どのようにお考えでしょうか。個人的には、重要文化財に囲まれた環境で学べることは素晴らしいと感じています。
小原同志社大学の二つの拠点が京都にあるのは、大きなアドバンテージです。京都は千年の間、首都の機能を果たしてきて、特に今出川校地はまさに京都の中心地。単に地理的な面だけでなく、京都の文化、宗教や歴史の中心があったので、その恵まれた環境を存分に味わってほしいです。京都には日本の伝統が蓄積されていて、すぐに触れることができますが、それができる場所は、日本のどこにでもあるわけではありません。なぜ歴史や伝統文化が大事かというと、新しいことを考えるだけではイノベーションは起きないからです。新しいものと古いものを大胆に繋ぎ合わせる力によって新しい社会が生まれていく。本当に新しいものを生み出そうとするなら、自分たちの足元にある長い伝統や古い価値観をしっかりと見据える、あるいはそれを味わうことができる感性をもつことは大事です。京田辺校地は1986年に開校し、来年40周年を迎えます。今出川校地の約10倍の面積をもち、各種のスポーツ施設も備えています。本学は、京田辺市と密接な地域連携をしており、市民の方々と生き生きとした交流ができるのは京田辺校地のすばらしい点だと思います。
半田グリークラブは、祇園祭の時期には山鉾巡行に参加させてもらっています。昔ながらの伝統を守ってきた人たちが若い人を受け入れてくださって、これから僕たちの残していくものが、この先の同志社の学生に受け継がれていくことにもきっと意味がありますね。
小原そうですね。同志社大学では、AIやデータサイエンスなど時代の最先端の課題に対応する教育をしていますが、長い年月を経て育まれてきた伝統的な価値観を知らないと、我々は新しい情報ばかりに目を奪われ、一瞬の興味関心で選んだり使ったりしてしまうと思います。
小林古きを大切にせよというお話はよくわかります。ラグビーでも、勝てなかったり、チームがうまくいかなかったりすると、みんな「戦術が悪い」「技術面はどうだ」といった思考に走ってしまっていました。ですが、昔から同志社大学ラグビー部が大切にしてきたのは、基礎練習の部分なのです。チームが苦しい状況の時に立ち返る場所は基礎練習だと気づき、そこに力を入れるようになりました。自分たちがやっていることは間違ってなかったのかなと思います。
小原中長期的に見据えないといけない課題があるのに、短期的にしかものごとを見ていないと、解決はできません。我々は日々、スマートフォンに飛び込んでくる情報に右往左往し、「面白い・面白くない」だけで判断して、世界を知っているつもりになってしまいます。長期的に科学や技術を考え、それをどう運用し、マネージメントすべきか考える上では、過去の蓄積や人類の歩み、伝統的な価値観が役に立つのです。
半田グリークラブの幹事長になり、みんなを引っ張ってまとめていくことに不慣れで不安があります。リーダーとしての心得を聞かせていただけますか。
小原組織を良くしていくためには、リーダーの存在は大事です。ある目的のために同じ思いでパッと集まることはできます。でも、その集団が力を発揮するのは簡単ではなく、中にいる一人ひとりの潜在能力を引き上げられるリーダーが必要でしょう。トップダウンだと、一時的に結果を出すことができても、言われて動くだけでは長続きせず、疲弊していくだけです。個人それぞれが生き生きとし、自分でも気づかなかった潜在能力が引き出された経験があると、「この仲間たちと一緒にいることで自分が思っていた以上の力を出せた」と自覚できる。自分自身だけでなく、自分がその組織に属していることも誇らしく思う。そういうことができるリーダーが求められていると思います。
半田声が合わない、あるパートがうまくいかない時に、「誰が悪い」ではなく、同じクラブの仲間として尊重し合えることは大事ですね。代表としては、お互いが高め合える環境を作っていきたいです。
小原リーダーには、価値観や考え方に違いがある人たちを一つの方向に持っていく調整型のタイプと、率先して新しい道を切り拓くタイプがあります。自ら道を拓く覚悟を持ったリーダーがいると、その組織は強くなっていくと思います。反対されても、「これは大事なんだ」と思いを伝え、説得し、実行する。そうやってリーダーが拓いた道を、他の人たちも一緒に進んでいく。これができれば、まさに良きリーダーシップを発揮しているということになります。私は、やるべき課題があるとすれば、自分で道を切り拓きたいと思っています。覚悟を示すと同時に、皆さんが持っている力を活性化させ、結集させて、これまでできなかったことをやって同志社大学を発展させていきたいですね。
半田学長は、大学での学びや学生生活を通してどのような人物になってほしいと思いますか。同志社大学が社会に送り出したい人物像について教えてください。
小原新島襄が同志社大学を通じて世に送り出したかった人物像が、1888年に発表された「同志社大学設立の旨意」という文章の中にあります。明治になって、新しい国づくりをする中で新しい人間が必要とされた時代でした。そこには、「自治自立の人民」という言葉があります。自分の頭で考え、自分で判断し、自分の足で立って自分で行動できる人物が出てきてほしいと願ったのです。上から言われるのを待ち、空気を読んで周りを気にする人間でなく、枠からはみ出してでも行動する人です。
小林「枠からはみ出す」という言葉には励まされます。今、チームの成績が振るわないので、用意された環境ではなくいろんなチャレンジをしています。自分が意識するだけではなく、常に部員全員が自主的に行動できるような環境づくりを目標として掲げています。
小原型にはまらない人物を、新島は育てたかったのだと思います。
小林同志社大学には、自主性と厳しさが与えられている環境がありますね。部活動には学校がほとんど介入せず、主体的にやりたいことをできる。同時に責任感も常に必要で、大学生のうちにこれを経験できるのは大きいです。自分自身で今の状況の課題を見つけ、必要なことを考え、実行に移す「課題解決推進力」が身についたと感じているので、後輩もその力を身につけることができるように、アドバイスや環境作りを続けて関わっていきたいなと思います。
半田僕は、入学当初は全然主体性がなく、やりたいことがわかりませんでした。でも、人の縁に恵まれ、グリークラブや学部の友人、先生方に出会い、やってみたいと思う軸ができてきました。同志社大学に育てられ、今は、恩返しをしたいという思いが生まれてきています。社会に出たら、人の当たり前の生活を支えられる人物を目指して、そのために何ができるのか考え、周りと協力して頑張っていきたいと思っています。
小原周りに支えられるのも大事な力です。新島は、鎖国の時代に日本を飛び出し、まさに型にはまらない生き方を体現していますが、渡米して帰国し、同志社を設立する過程で多くの人に助けられています。自分の考えを示すと同時に、「手伝ってください」と伝え、同じ目的のために歩みを進めていく。それができる人であってほしいですね。新島の生き様は、いつの時代にも変わらない、同志社が求める人物像だと思います。世の中は、皆さんを型にはめようとするでしょうが、既存の価値観にとらわれず、大胆に違うものを提案する「倜儻不羈」の気概をもった人物になってほしい。それこそが同志社のユニークさであると思います。
小林同志社大学を目指す人に伝えたいことはありますか。
小原京都には非常に長い歴史と伝統があり、京都で学ぶことは、皆さんの人生にとってかけがえのない経験です。全国の学生に京都で学んでほしいと思いますね。そして、同志社大学には多様性がありますので、必ず大学の中で自分が本当に学びたいものを見つけることができるはずです。入学前に、自分が何を勉強したいか、はっきりと決まっている人はそんなに多くないでしょう。しかし同志社大学を信頼していただければ、きっと出会うことができます。一人ひとりの学生を大切にしたい教職員がお待ちしています。

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